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素晴らしいチームでのいい1年だったよね(涙)

  • 執筆者の写真: Ctree
    Ctree
  • 2021年4月8日
  • 読了時間: 3分

丹羽くんには、サードシーズンのブルーのユニフォームが、今までの中で一番似合っていたと思う。


でも丹羽くんはそれを脱ぐことを決め、岡山リベッツを退団した。





丹羽くんにとってのTリーグは、いつも目的があって、その手段だ。


その貫き方は半端ないといつも思う。


いい環境で練習したい、いい仲間とたくさん練習をしたい、強い対戦相手と戦いたい。




今回「五輪のためを考えて」とのことだから、普通に考えると、Kに戻って、NT合宿以外の時間も、整った施設で代表選手達と徹底的に練習をする、ということなんだろうか・・・普通に考えるとね(笑)

(ちがったら驚くよん)



おそらくそれはサードシーズンも、当初は五輪が予定されていたのだから、五輪を第一に考えてる彼が一度は願ったことかもしれない、でも去年の時点では条件など色々あったんだろうか。今年は、目的に向かって、望んでいる時間を使える事を確認できた、たぶんそういうことなのかなKならば。

(まあ、そういう経緯とかは、いつかTリーグが思い出になるころ、本人が色々語ってくれるのを待とうと思う。)




でも、結果的に、丹羽くんはサードシーズン岡山リベッツで本当に良かったと思う。



岡山は本当に温かかった。


ファンも、仲間も、地元全体が。


丹羽くんをエースとして迎えてくれて、地元メディアでも注目してくれた。


五輪が延期になって、開催されるかわからない状態になって、なんのために練習してるのかわからない、コロナ禍で卓球選手としての自分が何も役に立たないという無力感を感じて、つらかったと言っていた。


勝つことしか信じない、勝つことだけが人を幸せにすると信じていた世界観が崩されて、今までの卓球人生で一番しんどかったと思う。


でも、岡山では高校生のドリームマッチを開いてくれて、選手としてのやりがいを感じることができた。一番辛い時期のあのイベントに、とても救われたんじゃないだろうか。


そして、なによりも、岡山の丹羽くんようこそ、という雰囲気。


岡山武道館は地元をあげての応援がすばらしくて、制限があるなかでも、一番多くの観客が入って、リベッツ戦士たちは夢のような大逆転を何度も見せてくれた。


青森山田三羽烏や仲間たちと共に闘い、尊敬する上田さんの言葉にもたくさん触れることができて、ほんとうに幸せな1年だったんじゃないだろうか。






あの子はいつも、夢のようにやってきて、夢のように去っていく




きっと、これからも






岡山武道館で応援してくれた、岡山のちびっこたちは、覚えていてくれるだろうか。




サードシーズンにやってきた、小柄でおとなしくて、表情がよくわかんないけど、本当はとても熱い思いがあるお兄ちゃんのことを。



あのお兄ちゃんはああ見えて、ユニークでかつ痺れるようなプレーをたくさんして、外国でも多くのファンを沸かせた、スゴい選手だったんだよ。




そのお兄ちゃんが東京五輪のコートに立つときは、リベッツとは違う青いユニフォームを着ているけど、どうかどうか、応援してあげてほしい。








そして私は、丹羽、町、吉田の青森山田三羽烏が揃い、上田さん森薗くんという昔からの仲間たち、響くんサティたちも華を添えた、サードシーズンの岡山リベッツの巡り合わせ、夢のようなメンバーたちを応援できて、本当に幸せだった。







丹羽孝希というひとは、いつも、遠くにいる。


一定の距離がある。近づけることはない。



そういう選手はTリーグでは珍しいタイプだろう。


それをちょっと物足りなく思う人もいるかもしれない。



でも、そういうひとだからこそ、必要以上に期待させることもなく、裏切られることもなく、安心してファンでいられる。





やっぱ、丹羽孝希でよかった。




旅立ちが、すばらしいものになりますように

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