メダル量産のストーリーを見たいわけじゃない、死に物狂いで代表権をつかみとったアスリートの人生を見たい
- Ctree
- 2020年3月27日
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東京五輪の延期が報道されてから、では、代表内定者をどうする、そもそも代表選考をどうするということを各局が頻繁に扱っている
卓球もよく扱われている。
そのなかで「この1年で他の選手が強くなったらどうなの」という司会者やコメンテーターの発言も時々あって、それを聞くだけで不愉快。
なぜなら、代表選手たちの限界を超えた長い長い戦いをずっと見てきたから。
今年1年の世界ランキングが基準だから、メディアは去年の1月からの1年間を追っていた。
だけど、そもそもその去年の1月のスタートを優位にしなくてはならないから、更にその1年前から競争は始まっていた。
そして丹羽くんでいえば、リオ五輪後の最初のワールドツアー中国オープンに、リオ五輪出場男女6名の中で、唯一参加していた。
東京オリンピックに向けて、もう戦いは始まっているから、と。
その時は2016年だったけど、その直後で、もう、4年後を見つめていた。

「メダルとるなら一年後強い選手を選ぶべきでしょ」「それもまた盛り上がる」と軽くいうテレビの人や、すまんけど街頭インタビューにそう答える一般人にも、ネットの同様なコメントも(見ないようにしてるけど)、はあ?と殺気立つ自分がいる。
日本がマシーンのようにメダルを量産するのを見たいわけじゃない。
その時の実力を測りたければ、その時の世界選手権で頑張ってくださいと思う。
武井壮さんもそんなことをおっしゃっていた。
五輪は違う。4年に一度。
4年間の厳しいプロセスを勝ち取ったことが素晴らしい、そういう選手をリスペクトしているから、開催が1年後であろうが、その人たちが人生を昇華させる、その姿を見たい。
それでメダルの色がどうであろうが、メダルがなかろうが、価値を感じるのはそこじゃない。

テレビ朝日がこの件を50人、街頭インタビューで調査した。
私がイラっとしていた人たちは、上記でいうと 50人中の4人のヒト。
その人らが、デカい声でいってるだけだった。
44人は必要なしと。
だったらいいや。
そう思って、これからも流すわ。
他人が言うことは変えられないから、「流す」「見ない」ということを、こんな日常でまた悟るのさ。
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