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心を無にして白球を追いかけたい

  • 執筆者の写真: Ctree
    Ctree
  • 2021年5月25日
  • 読了時間: 2分

中3に書いた卒業文集のことを、ふと思い出した。


内容は、ロックにハマった中学時代の自分のことを書いているんだけど「こんなにハマるのは、そんだけ余裕があるからだ、部活や勉強をクタクタになるまで精一杯やっていたら、こんなにロックは自分にはいってこなかった。一日の中には、何らかの量の上限がきっとある。自分が中途半端な中学生活を送ったからロックは忍び込んできた。そして中途半端な自分は、たぶん一生治らない

そんなことを書いていたと思う。


中二病ど真ん中のひとがいかにも書きそうな文章だった。


あの最後の結論のところは、15歳で、まあ、よくその後の何十年の自分の人生を言い当てたよな、と思う。笑う。







一日の中に、なんらかの量の上限があると決め込んだ中学3年だった私の理論からいくと、卓球を取ったら、悲しいほど空洞だ。





卓球を見るほうは、あとどのくらい私は興味をもって見ていられるのか、わからない。




卓球をやるほうは、仕事の合間を縫って、週3回練習を頑張ろうとしている。

相手がいないときは電車に乗ってマシン練習に行く自分は、そこそこ熱心な愛好者に見えるのかもしれない。



でも、ふっと、時がとまることがある。


なんでこんなことをしているんだろう。


なんでラバーを貼ったり、ユニフォームを選んだりしているんだろう。






こんな風にたまに思い切り遠くから自分を見てしまう私は、幸せ体質から程遠い人間だ。

俯瞰なんてできないほうがいい。



目の前のことに集中して、次から次へと作業を作り繰り返し、楽しそうに口笛を吹いている人が身近にもいるのに、なぜ真似ができないんだろう。



やっぱ、空洞の時間を作ると、へんなモードになるね。




心をからっぽにして、白い球を追いかけたいな。


見るにしても、やるにしても。




言霊を信じるなら、おまえは幸せで、キラキラ輝く卓球という趣味を持ち、美しい選手達の美しいオーラに目がくらみながら、いい人生を送っている。



そうだよ。



人と比較なんてするからだめなんだ。


世間一般、っていうカテゴリーがあると、思い込むからだめなんだ。




周りを見渡せよ。


なんて優しい人達に、おまえは囲まれているんだ。


その奇跡に、なぜ感謝しないんだ。




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