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真晴さんの涙 と哲学

  • 執筆者の写真: Ctree
    Ctree
  • 2020年4月14日
  • 読了時間: 4分

真晴さんが今年度のナショナルチームを辞退した。


びっくりした。どうしたのだろうと。



その数日前、五輪選考レースを追ったテレビ東京のドキュメンタリーで、真晴さんの戦いの日々を見たばかりだった。


五輪代表発表の記者会見で、3人目に倉嶋さんは水谷さんの名前をあげた。


真晴さんは、そのテレビを見つめながら、涙を流していた。



私は、真晴さんの涙を見たのは、リオ五輪で決勝進出を決めた直後のインタビュー。

「1番で(第一試合の自分がオフチャロフ戦で完敗)情けない試合をして…」と涙を流していた、あの姿以来だ。



五輪に選ばれなかった真晴さんの涙を見て、やはり選手というものは、最後の最後まで、何があるかわからない、自分を信じたい気持ちがあるんだなと、切なかった。


あの頃、おおかたの予想が「3番目が水谷さんだ」という声がメディアには多かったし、それは分かっていたと真晴さんもRallysのインタビューで言っていた。

でも、真晴だよと言ってくれる人も居て、もしかしたら、という気持ちもあったと。



NT辞退を決めたのはその翌日、そんなに早く決断をした。








真晴さんに同情する気持ちはある。

言い方は悪いけど、

期待をさせるような伏線がめちゃあったから。



五輪選考で水谷さんを選んだ理由で、ベテランとしての経験値でチームに貢献してほしいということが大きいけど、チームランキングを高く維持したい、という話も出てきた。


ただ、それは、選考期間中はあまり話に出なかった。


その話が選考期間中に重視されていたら、つまり日本選手内ランキング3位を選ぶ、というのが大きなポイントだったら、丹羽くんだってあんなに悩まなかっただろう。



「チームランキングを重視しないなら、ワンチャンある」

右利きの上位選手はみんな思ったはずた。


神さん、和弘くん、真晴さんは狙えるグループにいた。

逆に、このころ日本人4位につけていた森薗くんは、おそらく左利きという理由ではじかれたのだろう、ワールドツアー参加が協会推薦ではなくなり自費参加になった。

最後のほうはツアーに呼ばれなくて悔しかったと森薗くんが卓球ジャパンで言っている。


そして終盤で、協会は、真晴さん五輪大いにあり、のメッセージを出していたように思う。

それが11月のチームワールドカップのスタメンだ。

張本、水谷、吉村真晴の布陣で記者会見をしていた。

丹羽くんは大会に帯同する予定がなかった。

五輪とまったく同じ形式のこの大会で、この布陣を敷けば、おれは候補に限りなく近いんじゃないかと思うんじゃないかな、思うよ普通。


ダブルスに強くて、ビッグゲームに強い真晴さんは、チームワールドカップでボルを破るという快挙を成し遂げた。


水谷さんの腰の怪我で、丹羽くんが代わりに入り、左利きのメンバーが変わったけど、真晴さんはあの大会は不動の位置にいた。



PHOTO:Ctree

(これは番組ではこういう風に編集していなかった。

「水谷の怪我で、真晴にチャンスがめぐってきた」と。

それは嘘。チャンスが巡ってきたのは丹羽くんで、真晴さんは最初からスタメン起用。まあテレビはなあ...と流す\\\)


真晴さんはそんなNTに絶望して、今年のNTを辞退したのかななんて、素人の私はまず思ったりした。


そして、もうひとつ意味があって、ジャパンオープンで試合終了でボールを踏みつけたことの、けじめを自分でつけたかったのかなとも思った。



でも、そういうことじゃなかった。



Rallysのインタビューによると、日本代表を自ら外れて、そのありがたみを知りたい、そこから始めたいという気持ちなんだと。


真晴さんはテレビでは底抜けに明るくて、お茶目で、タレントさんとも堂々と渡りあえるし、とてもメディア向けだと思うけど、あれはクレーバーな真晴さんの技術なのかもしれない。


Youtubeの真晴さんはもう少し繊細な感じがする。


笑ってるけど、色々な思いを抱えて、微笑んだりしてるのかもしれない。



そして、自ら代表を辞退し、それは、ふたたびパワーアップをし、日の丸を目指すためだと、ビックリするような道を選択する、自分を実験台にしているのか、もう哲学の世界をいっているひとなのかもしれない。




選手はぎりぎりで戦っている。


丹羽くんは東京五輪に選ばれなかったら、卓球をやめたかもしれないと。


VICTASブランドの看板を背負い、Tリーグという道もあるのに、25歳でやめる気にする、ワールドランキング10位台前半なのに、そこまで追い込まれいた。

もう、気持ち一つなんだなと。。。




そして、今のコロナウイルスだ。


色んな価値観がぐるぐると変り始めている。


あの苦しかった1年を越えた先にご褒美が待っているどころか、


命を大事にしなければいけない状況に変わった。




練習もままならない日が、いつまで続く。


体を壊さず、無事に切り抜けてほしい。


試合の予定もスタートのきざしはいつ見えるのか。



でも、卓球ができる日がきたら、あの子たちはほんとに嬉しいだろう、喜ぶだろう。


ニコニコ卓球台の前に立つだろう。




五輪は平和の祭典でいい、そこに無事で集まれただけでいい、メダルの数なんて競わなくていい、参加することに意義があるっていう、それでいいじゃん。



まだ1年以上先の話なのに、時々そんなことを思うんさ。


 
 
 

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